
「整備は完了しました。異常はありません」
そう告げられた瞬間、ベテラン機長は首を横に振りました。
アメリカ・デルタ航空で起きた“飛ばない”という決断。
技術よりも人間の感覚を信じたその判断は、私たちの働き方にも通じる哲学を映しています。
数字では測れない「安全」とは、いったい何でしょうか。
機長が下した「飛ばない」という判断
先日、アメリカのデルタ航空で印象的な出来事がありました。
アトランタ発ラスベガス行きのDL466便の機長が、離陸直前に「この機体では飛ばない」と判断し、運航を拒否したのです。
機材はボーイング757型機。
この機長は前日に同じ機体を操縦しており、その際に昇降舵の動きにわずかな違和感を感じたといいます。
整備部門は翌日までに9時間かけて点検を行い、「異常なし」という結論を出しました。
それでも、機長は「直感的に」この機体を信頼できなかった、というのです。

整備記録は安全を示していても、機長は「飛ばない」と宣言し、搭乗を中止。
乗客に向けて理由を説明し、代替機が手配されました。
結果として出発は約1時間遅れましたが、乗客の多くは拍手を送り、機長の判断を支持したといいます。
「安全」は誰が決めるのか
この出来事を知って、改めて考えさせられました。
航空機の安全性は、整備・運航・管制など、多くの専門職の努力によって保たれています。
しかし最終的に「飛ぶか、飛ばないか」を決めるのは、たった一人・・・機長です。
整備士がどれだけ完璧に検査をしても、人間が操縦する以上、「感覚」の部分を完全に数値化することはできません。
特にベテランパイロットには、長年の経験から培われた「違和感を嗅ぎ分ける力」があります。
それは科学的根拠に乏しいようでいて、実は統計やデータよりも命を救ってきた判断力でもあります。
技術よりも、判断力
現代の航空は高精度なシステムに支えられています。
それでもなお、フライトの現場では人の判断がすべてを左右します。
どれほどAIが発達しても、「飛ぶ・飛ばない」の最終判断を人間が行う理由は、そこに「責任」があるからです。
「飛ばない」という選択は、会社にとって損失であり、運航スケジュールにも影響します。
しかし、ひとたび事故が起これば、その責任は全て機長にのしかかります。
だからこそ、機長が自分の「直感」に従うことは、勇気ある行動なのです。
航空界では「離陸は任意、着陸は義務」という言葉があります。
つまり、飛び立つことは義務ではない。
少しでも危ういと思えば、飛ばない自由があるという意味です。
「飛ばない勇気」が社会にも必要だと思う
このニュースを聞いて、私は「飛ばない勇気」という言葉を考えました。
私たちの仕事や生活の中にも、似たような場面があります。
無理をして進もうとするときほど、「今日はやめておこう」という判断が必要です。
数字や上司の言葉よりも、自分の中の小さな違和感を信じること。
それが、長い目で見れば最も安全な“航路”につながるのかもしれません。
デルタ航空の機長は、整備データに逆らってまで「飛ばない」と決断しました。
その判断が正しかったかどうかは、記録には残らないでしょう。
けれども、彼の決断が伝えたメッセージ──
「安全とは、人間の心が守るものだ」という事実──は、きっと多くの人の胸に残ったはずです。